インテルとフェアチャイルドの共同創業者、ゴードン・ムーア氏が94歳で死去

ムーアの法則の生みの親であり、”裏切り者8人衆 “の最後の一人であった

インテルの共同創業者であり、また半導体業界の中心的人物でもあったGordon Moore(ゴードン・ムーア)氏が94歳で亡くなりました。

ムーア氏は、1965年に「プロセッサは毎年トランジスタ数が約2倍になる」と予測 (尚、10年後の1975年にはそれを2年ごとに修正)した「ムーアの法則」でよく知られています。この予測は、半導体業界にとって自己実現的な指針となり、業界はこのペースを維持しようと努めてきました。但し、近年ではトランジスタが物理学の限界にぶつかり、苦境に立たされています。

1956年、ムーア氏はトランジスタの共同発明者であるWilliam Shockley(ウィリアム・ショックレー)氏に誘われ、Shockley Semiconductor Laboratory(ショックレー半導体研究所)に入社しました。ノーベル物理学賞を受賞したショックレー氏は、管理能力が低く、攻撃的な性格で、自分のビジョンだけがコンピュータ時代を切り開くという信念を持っていたと言われています。

– Intel Press

そうしたことから、ムーア氏は7人のスタッフと共に同社を退職し、その後実業家Sherman Fairchild(シャーマン・フェアチャイルド)氏の支援を受け、Fairchild Semiconductor(フェアチャイルドセミコンダクター)社を設立しました。「裏切り者8人衆」と呼ばれた彼らは、半導体企業として大成功を収めました。

しかし、シャーマン・フェアチャイルド氏は1959年に共同創業者全員から株式を買い取る権利を行使し、ムーア氏と同僚のボブ・ノイス氏は再び自分たちがコントロールできない会社で働くことになりました。

そして、2人は新会社を作るために退職し、当初はその社名を「Moore-Noyce」と名付ける予定でした。しかし、「More noise(ノイズが増える)」という響きが強すぎることに気づき、「Integrated Electronics(集積エレクトロニクス)」の頭文字を取り、1968年にムーア氏をCEOに迎えてIntel(インテル)社を設立しました。

その3年後、同社は初めて商業的に生産されたマイクロプロセッサーであり、インテル初のCPUである「Intel 4004」を発表しました。これは、コンピューティング、そしてより広く世界に革命をもたらし、インテルの前例のない成長期の到来を告げました。

その後、スマートフォンの普及や競合他社によるチップ製造の台頭により、インテルの市場シェアは低下していきました。

ムーア氏もまた、1997年に名誉会長に就任し、2006年には完全に退任することになりました。同氏は2000年の設立以来、51億ドル以上を寄付しているゴードン&ベティ・ムーア財団を設立し、慈善活動に力を注ぎましだ。

インテルの前取締役会会長であるAndy Bryant(アンディ・ブライアント)氏は、「私はゴードンを、世界をより良くしようと努め、常に正しいことをする、優秀な科学者、率直な話し手、そして鋭いビジネスパーソンとして覚えている」と述べています。

「彼を知ることができたのは光栄であった。そして、彼の遺産が、彼が創設に貢献した会社の文化の中で生き続けていることに感謝している」

この記事は海外Data Centre Dynamics発の記事をData Center Cafeが日本向けに抄訳したものです。

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